自分でやる
昨日、おとといと窯を焚く。
倒炎式を終えてから、昨日穴窯。
ふたつ同時に焚いていたので、おとといは自分が倒炎式を焚く。
ソーダを入れる以外、ほぼ全て自分で。
最後の方に上がりにくくなったタイミングで少し手伝ってもらったが、
それ以外は自分一人でもできてしまった。
何回もやっているし、焚き方も確立しているので特に不安もなくできる。
翌日穴窯を焚くが、そんなにすることがない。
横差しをするタイミングまでは、薪の釘を抜いて運ぶだけ。
やることが少ないからつまらないと感じていると思っていたが、そうじゃないかもしれないと帰ってから思う。倒炎式は自分で薪の量を把握しつつ焚いていて、自分で考えてやるおもしろさを感じてしまったから、何も考えることなく窯焚きすることにつまらなさを感じてしまったのかもしれない。
電気釜も買うことになり、いろいろ自分でやってみることに不安もあるけれども、そのおもしろさも知っている状況なんだな、と振り返る。
今日はローカルキムチショップ(プロフーズ)に行く。
韓国の人が作るキムチは、唐辛子の苦みの部分も出ていてええなと思う。
パンケーキを自家製酵母で作ると、パンの味がしてびっくり。パンの味って子なの味かと思ったら、酵母の味食べてるんやなと知る。
あとはロケットストーブ試したり、タープ泊のためにモンベルのフライシート試して見たり。
タープ買おうかなと思ったけど、タープやとトレッキングポール持って行かなあかんけど、いらんしな・・・と思っていたからこの形で良さそう。一度試してみたい。
やや便秘気味だったが、朝からひたすら発酵食品を食べていると、お腹が絶好調になりびっくりする。
じゃあいってきますわ
昨日おとうとが千葉へと引っ越した。
この日が来るのは決まっていたことなので、なんとなくそれに向かって過ごす日々ではあったが、まあだけれどもいつも通りに過ごしていた。
そして昨日夜、家に帰って、駅に送るまでの時間。
急遽カメラを持って行くのでなく、ダンボールで送ることになり、それをやっていると親がやってきて、親が全部それをやっていた。
そしておとうとは突っ立っている。
自分でやれよ、という話でなく、うちの親はなんでも取り上げてやってしまう。
それを子離れしないと、的な話を母親から聞いていたのにも関わらず、めちゃくちゃやってて笑った。
なんでも先々やってしまう癖、これはマジで治ることないんだろう。
一応家族で見送って、まあ彼は特にコメントなかったが、駅まで送る。
いつも通りの会話をして、”じゃあいってきますわ”というので”気をつけて”という。
うーん、なんというか、特にかける言葉が見当たらない。
こないだ香川も行ったし、十分すぎるぐらい彼とはいろいろ楽しい経験をしたのでもう十分かな、という感じもするし、離れていたとしてもなんとなく過ごし方も想像つくというか。
そういう感じだから、特に感慨もない。
好きなことして生活するんやろな、という感じだ。
朝ドラスカーレット最終回。
26歳で陶芸家を目指す男性が死ぬとのことだったが、もし自分が不治の病にかかったら、
陶芸やり続けるんだろうか。
たぶん、旅とかするんじゃないか、正直自分は。
体力的にうろうろできないならともかく、そこまで陶芸がしたいとか、自分の作品を残したいということはみじんもおもわない。
陶芸自体は好きで、ものをつくるのは楽しいが、それをしながら生活するのがいいというか。
まさしく今の状況なのだけれども。
平民金子氏の本を人にプレゼントするとき、なんと説明しようかとぼんやり考えていた。
本木雅弘氏のドキュメンタリーを見ていて”羞恥心と戦っている人”と内田也哉子さんが評していたが、なんかそれに近いのかなとも思った。
日本語入力
さあとりあえず今日のこと書き始めようかな、と思ったら、なぜか入力ソースが英語になっていて、日本語入力ができない。
もどしかたがわからない(というかいままでmacで英語入力になった記憶ない)のでググって、戻して今これを書いている。
窯を買うかもしれないという話があったため、それがきてから小屋を作って、と考えていたが、窯はどうやら買えなさそうである。
というか先方から連絡がない。
安いから買っておくか、的な買い物であったので、別にどっちでもええかなと思う。
すごいほしい、と思うものに出すお金と、仕方なく買う・安いから買うという時に使うお金の価値は多分同じではない。
あと、やはり自分がほんまに作家としてやっていきたいのか、やるのか。
福祉の作業所やってみようかなというアイデアはどうするのかと、結局何もかも決めかねている。
今日作業場にMさんが訪れていた。
窯詰めのときだったので、”お弟子さんのも焼くの?”と聞かれたので”いやー僕のはないです”
”もう結構長いよね、そろそろ独立?”と聞かれ、”まあそうですね・・・”的な、妙に言葉を濁すような感じになってしまって反省している。
答えにくいんじゃなくて、迷っている・自信持ってこれから自分のものを作っていくということがいえないので、言いにくかった。
弟が関東に行くので、4月に遊びに行こうかな、と思っているが、自分のもの作らないとあかんし、遊んでばっかりもな、という考えから、今後どうしよう・・・という不安スパイラルに今入っている。
自分のものを作るにしても、どういう方向性でどんなものを作るかも決めかねている状態で、焦っても仕方がないし、遊ぶのを我慢したからと行って良いものができるわけではないのだろうけど。
具体的に自分のものを作るペースを作らないとしんどい。
福祉の方に行くにしろ、来年一年は作業場に通いながら過ごす一年になるので、どちみち来年は福祉関係のことはできない。
昔からかもしれないが、漠然と誰かが誘ってくれて、そちらの方向に行くという妄想がある。
例えば酒蔵の一人娘と結婚する的な。
クラフトフェアに出していたらそこでつながったひとと何かを始める的な。
なんかそんなことがあるかも、とどっかで考えているので、道を決めかねているのかもしれない。
俺彼女できると思う?
土、日は香川県へ。
ジャンボフェリーでこうたと。
とにかく、フェリーに乗りたいというモチベーションで行ったから、それができてよかった。
海をずっと眺めていられる時間ってめちゃくちゃ贅沢。
帰りのフェリー乗り場でおじいちゃんと小五ぐらいの小太りの少年を見かける。
なぜかずっとスクワットをしていた。
ふーんと思っているぐらいだったが、こうたがそれをみて笑っている。
あれやばいな、みたいなかんじでいうので、よくみると半泣きで子供がやっていた。
スクワットをし、回数を数えながら。そして、やるたびのおじいちゃんの顔を見ている。
たぶん、なんらかおじいちゃんのなかで回数なりやり方なり、正しいものがあるのだろうけど、たぶんそれは子供には伝わっていないものなので、常に顔を伺っている。
なにかちがうことをするとたぶん機嫌が悪くなったりするのだろう。
なんといっていいのかもよくわからなかったので、とにかく、じーっとそちらを見て、他人の目があるぞ、ということをアピールした。
月曜日作業をしていると、小学生の子が中学生ぐらいの女の子に「俺って彼女できると思う?」と聞いていた。
なんでそんなこと聞いてみたのだろうか、前後の会話の流れは?
もうちょっと聞いておけばよかったな、と思っていると前述の件を思い出し、やや後悔。
淡々と、怒らずに、子供があなたの表情を常に伺っているのは、不安だったりよくわからないからじゃないか、といってあげればよかった。
子供本人にも、相談できる窓口について教えてあげられたらよかった。
次からは。
■
一昨日か、朝に弁当をつくっていると、不穏な叫び声が聞こえた。
二階から聞こえたようだったので、階段の近くにいくと、
父親が母親に対して怒っているというわけでなく、投げやりな言葉をいっているようだった。
それが俺の人格やねんから仕方がない、的な。
多分、母親が父親に対して、もうちょっと考え方を変えないといけないというようなことを言ったんだと思う。
でもその叫び声が入れ歯を入れていない感じで音が抜ける、また高音なかんじでコミカルにも聞こえた。
母親に何について話していたのか聞くも、自分の見解を述べるのみで(おとうさんもがまんしてきたとか)事実は分からず。
こうたが部屋を決めて昨日帰ってくる。
話している中で、買い物の話に。
自分が信頼できる、自分が払ったお金が良い循環がしそうなところからものを買いたい、買うようにしていると発言があった。
安いものを買って、自分が得した気になっていても、そのうしろで誰かが悲しんでいるかもしれない。自分のことだけ考えていたらあかん、といったようなはなし。
コロナでマスク買い占めるやつらに聞かせてやりたい。
風が吹き荒れる1日で、花粉がすごかったためか大変に眠たい。
キャンプ道具やアウトドアウェアをいろいろ見て、購買欲が高まってきて困る。
良い機能のものを買おうとするも、そんな数日間ロングハイクしないしな、、と思いとどまる。結局、本当にそれをやるタイミングで買う、必要性を実感してからでも遅くない気がする。ふだんでも使えるアイテムなら買うことにしようかな。
公開処刑
昨日の続き。
シカクのトーク。
平民金子氏が”またやりましょう”のような口先だけの約束はやめよう、といっていたが、
このことにめちゃめちゃ共感する。
そういうこといいすぎだとおもう、みんな。
いうからにはやってほしいし、ていうかやれよ、とおもう。
予定送るわ、というても全然送ってこないやつとかも周りにいて、毎回いらつく。
いつからこんな軽くなってしまったんやろか、ことば。
別にいうてるだけでやらんでええよね、っていうのが暗黙の了解みたいになっているのがこわいとおもう。いや俺が少数派なのおかしくないか。
言葉の重みというワードではキングギドラ公開処刑をいつも思い出す。
自分の声の重みを知れ。
ボルダリングにいったとき、T君と話していて、サンタクルスの企画(妄想セカイ料理)やらなあかんよな、といわれた。もともと俺がやろうよ、と声をかけていたが進められていなかった。うわ、やっても棚、とそのときちょっと思い、その日に話に出たバーベキューは今企画に動いている。
Oくんも動画に出てくれるようたのんだし、杭瀬youtuberともなんかやろう的なざっくりした話したので、とりあえずほんまにやるかどうかまた確認しなあかん。
そういえばメガネのほうのメンバーが地下鉄沿線に住んでいるかどうか確認忘れた。
おばちゃんがついてくる
接骨院に行くため夕方帰ろうかと思っているときに、Aさんが作業場に。
その場で喋っていたので、帰りにくいなあ、と思う。
自分が帰るのをみて話しかけてくれたが、そういうのはなんか悪いなというか。
人が話していると、自分が入ることで中断させるとなんか気を使う。
と言っても逆の立場やったら声かけるけど。
パントリーでりんごジュース酵母の継ぎ足しを買う。
レジに並ぶとつぎのおばちゃんがウェハース二個買おうとしていた。
自分もおばちゃんも品数が少ないので直接台に置いていたが、その距離が近い。
どっちも同じお会計と思われてもなあ、と思ったので少し前に動かすと、おばちゃんも動かす。うそやろ、と思いながらレジの直前にもう一回動かすと、おばちゃんがついてくる。
思わず笑ってしまうが、お会計は滞りなし。
接骨院で先生がコロナウイルスの話の中で、中国人の悪口を言っていた。
要するに彼らが撒き散らした、というような。
話を流すこともできたが、なんでそう思うのか、と聞いてみると、中国人全員が悪いとおもっているのではなく、政府が隠蔽しようとしたのが良くないと話す。
先生は台湾にルーツがある人だと聞いていて、今日もその話を自らしていたが、でもそんなひとでも平気でそういうこといってしまうのがこわい。
○○人というくくりで話すのは良くない、もしその国の個人の顔が見られたらそんなこと言えないはずだ、と話すと納得してくれたようだ。
でも今日は冷静に、おだやかに間違っていることは間違っている、と伝えられてとても良い経験ができたと思った。
シカクの平民金子さん、スズキナオさんの配信を見る。
スズキナオさんがコロナウイルスは、罹ったひとにヘイトのような言葉が浴びせられるが、それはいつ逆転するかわからない(自分も罹る可能性がある)、という話をしていたことに、今日の差別の話との共通点を見出す。