いつでも引っ越しできるように
ってのはtomovskyのうた。
いつでも引っ越しできるように荷物を減らそう、という曲である。
まあ弟が引っ越しをすることになったのだが、その挨拶がてら、いつものメンバーで集まって食事をしよう、と彼には話していた。
3月中のどこかでという話だったが、なんと彼は3月8日にはもう東京に行くとのこと。いやそれはよいうてくれ!
前から言うてたのにそれはないやろ、といらっとした。
なんでいらっとするんかな、というのをよくよく考えてみると、べつに反故にされたからというよりも、みんなでの集まりが彼の中で優先順位が低くなっているのが目に見えてわかっていたからだ。
以前からみんなで集まることに対して消極的な様子は見せていた。
ディズニーにはまりだしてから特に。
気づいてはいたが、それでも会う機会を作っていけば、まあそれなりに楽しむだろうとも思っていたが、そうでもなさそうな感じが続いていた。
生きて行く中で、いろいろ成長したり、あたらしいことを経験する中で新しいステージにいく、だからいままでのところにこだわらず進むというのは、わかる。
というか最近、仲間の婚活をサポートしたり、新しい仕事を始めた仲間もいたりして、なんだかみんなちょっと違うステージに行く時期(自分も含め。窯を買う話もおとといあった)にきている感じはあった。
でも、やっぱりそれでも自分はみんなで集まる時間は楽しいし、大事にしたいからこそ、そうやってどうでもよさそうにされるのがつらいし、さみしい。
新しい楽しいことがあったとしても、これはこれで楽しいと自分は思うからだ。
とか作業中に考えていたけれども、よく考えたらラインのなかでも彼が呼びかけたことに反応が薄かったり、そもそも予定を送れと言っても送ってこない人たちがいたり、きっかけはそういうのもあったのでは、とおもう。というか、なんでスルーなんやろとかもいうてたしな。彼は相変わらずズバッと見切る。
奄美に行って改めて思うけれども、現代の日本人のコミュニケーションの濃度や、言葉の使い方(やり過ごすような言葉や社交辞令)は自分にはあってないと思う。
かといってなにわや長田的なディープなコミュニケーション、奄美や美山のような人にあれこれいわれるようなコミュニティもうっとうしそうやしなぁ。
自分は何があっているのか。議論したいのかな、ともおもうけれども。
酒場で話し合うってのも嫌やし。
でも、都会で馴染みの店あって、みたいな生活はしたことないのでいっぺんしてもよいかもしれない。
話がとっ散らかったがとりあえず29日に集まることになった。さてどうくるか。